多摩の日々

季節や月日のうつろい日記

歴史小説のウソ

2025-12-25 12:20:59
2025-12-25 15:59:34
目次

一昨日買った三冊のうちはじめに読んだ本である。最近の世相の問題なんかとも絡んで,とても示唆に富んだ内容だった。歴史とは何か,まえにも書いたことがあるが,日本史や世界史を学校の教科書でひととおり学んでもおいそれと身につくものではない。この歳まで,いくつもの大河ドラマや映画を見たり小説をよんだり,歴史的な建造物にふれたり,あるいは社会でおこる事件の背景などを理解するために少しずつ詳しくなっていくようなもので,それでもまだ歴史年表を見ないと知らないことだらけだ。そう思って去年ぐらいから山川の世界史,日本史図説(高校の副読本)を手元に置き始めたくらいである。自分としては,歴史を勉強すると言っても,専門書を読むわけではなく,古代史なんかはそもそも謎だらけの問題をさまざまな人がいろいろ説を出しているわけで,丸善の売り場には「歴史読み物」という棚がある。古事記や日本書紀に書かれていることは,史実もあるが編纂者による脚色がされているのは周知のことである。頼りにする歴史書とて書いている人がウソを書かない保証はない。中世以前の歴史書は物語,すなわち文学のジャンルでもある(HistoryとStory)。なので,この本のタイトルは,すごく意味が深いと思う。歴史小説にウソといっても,そもそも小説(=フィクション)であるので当然だが,小説家はウソを書こうとしているわけではなくできるだけ史実を丹念に調べ上げ,真実はこうだったのじゃないかという解釈によって物語にリアリティーを持たそうとしている(たとえば,明智光秀が信長を討った理由としてさまざまな説があるが,ある史料を頼りにした解釈でこういう一節が書けると,小説作法を示してくれたり)。著者が言うには,背景に歴史はあるもののあくまで人物を描くのが歴史小説だという。時代小説といって主人公は架空の人物(銭形平次とか)でも,脇役に将軍○○とか時代背景が出てくるようなものも人気がある。時代劇ファンと言う人も多い(朝ドラのカムカムは面白かった)。歴史小説あるいは時代小説を読むのは娯楽としてではあるものの,大まかな過去の歴史を知る上でも欠かせない。自分もそうだが,司馬遼太郎の小説では,「余談ながら・・・・」とはじまる部分は,司馬遼太郎が調べた当時の歴史背景を伝えていて,事実が書かれているように思って読んでいる。先週終わった,大河のべらぼうを見て,自分も含め江戸時代の寛政の改革とか,鬼編犯科帳の長谷川平蔵が実在の人物だったことをリアルに感じられるのが普通の人であろう。このように,歴史を知る,または歴史小説を読むのは人間とはいつの時代にも変わらないということを知って共感し(勧善懲悪など)その時代の危機管理を学んで,現代に生かしたり今と比較したりして考えるためだと思う。一方,その時代の子孫がまだ生きているような近現代史,先の戦争の史実などは,歴史問題とか歴史認識として政治的な問題でもある。過去のこととはいえ,勧善懲悪がまだ片づいていないものは歴史小説にしずらいという。今もセンシティブなイデオロギーと歴史観(史観)の問題も述べられている。おわりにで,21世紀に入ってまた戦争が始められていることと,少子高齢化が進んでいることを危惧している。自分の生きてきた時代が良かったのか悪かったのか,それを知るよすがとして歴史観をもつことが重要だと書かれていて,はじめの疑問がとぎれることもなく,最後までスッキリとまとめられている一冊でした。歴史に関心がある方は必読とまで言いませんが,是非お勧めします。

この記事を書いた人

soran tan