今や日本のクライマックスシリーズより,ドジャースの試合の方が注目されるのは当然のことだろう。大谷,山本,佐伯と次々に活躍が伝えられる。スポーツとてゲームだから,運不運で結果は左右される。それでも期待されているので,良いと褒めそやされ,悪いと批評される。野球映画はその辺が描かれているのが多い。好きなのはロバートレッドフォードの「ナチュラル」で,レッドフォード演じるオールドルーキーをつけ回す新聞記者(彼の評価を握っていると自負している)に向かって言う台詞に,「あんた野球やったことあんのか?」というのがあって,まったくその通りだと。野球はやるものであって,よく勇気づけられたとか言うが,そんなのはそっちの勝手だろう。選手は自分が面白いから野球をやり,ホームランを打ち三振をとるのだ。とはいえ,ベーブルースと並ぶメジャー記録を打ち立てる大谷には驚くほかない。そんな活躍が毎日のようにテレビで見られると誰でもうれしいし,その幸福感が日常化する。自分より誰かを頼りにして生きる感じ。
昨日図書館で借りた本を読み始めたら,過去の歴史において人の集団は危機に瀕すると独裁者を待望すると書いてあった(世界を変えた暦の歴史という本なのだが)。おなじく,多神教は穏やかで豊かな環境でおこるが,危機に遭遇した民族が一神教を生んだという(ユダヤ教が例)。唯一絶対頼りになる誰か一人の方が,うだうだしているよりスッキリして気が晴れるというのは分かる。確かにそうだと思った。で,今の日本の状況を見ると,高市やタマキンを総理にしないか心配になるが,どうみてもヒーロー不足だろう。トランプが日本から出てこなくて良いのは,長く八百万の神で八方丸く収まるのを良しとしてきたからからじゃなだろうかと考えてみたけれど,政治より野球を好んでいるのもまた日本を象徴しているような気がする。
今日はAmazonで仕入れた,かすみ草とナデシコの種を捲いたり,マンリョウの苗を近くで探してきて,庭に植えたりの庭いじりもした。